Yuki Uematsu
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ベルリンでの研究滞在記
ここでは、私がドイツに研究で長期滞在することになった経緯と、ドイツに住む時のいろいろな手続き、特に日本学術振興会特別研究員(PD)で、初年度から海外へ長期滞在するにあたってのコツをメモとして残しておこうと思う。
初めての短期滞在が流れる(2013年9月-2014年2月)
2本目の論文は高分子電解質が吸着することでコロイドの電気泳動の向きが反転することを理論的に示したのだが、この論文が、思いの他、自分の中で納得がいったので、この先は界面の電気現象をテーマに研究を進めようと決心したのだが、物理学のバックグラウンドを持つ研究者の中で界面動電現象に造詣を持つソフトマターの研究者であるNetz教授は、以前から論文をたくさん読んでいたので、興味は持っていたのだが、ローマで見かけ講演を聞いて、うーんこんな人かと思いながら、当時は特に話しかけることもせずに終わった。
ちょうどその頃、京大の統計物理学関係の研究室は日本学術振興会の先端研究拠点事業の予算を持っていて、申請すればドイツかフランスに短期滞在できる状況にあり、2014年の2月に渡独しようと、アポを取り始めた。そのころは初めての研究滞在であったパリ滞在が、研究的に何か刺激があったわけではなかったし、あからさまに共同研究したいというのが、何か後ろめたい気持ちがあって、2本目の論文のようなことをしていて、議論できたら嬉しいというようなことを書いて、メールを送ったのである。それで、すぐにNetz教授から返事が来たのだが、サバティカルするかもしれないし、アメリカ物理学会のマーチミーティングに行く予定もあると言われ、自分の予定と合わず、滞在は流れてしまった。
初めての短期滞在とその後(2014年2月-2014年6月)
その後、ELKIN2014がベルギーで開かれるので、その後にベルリンに行こうかと計画し、メールを送り、三週間滞在することになった。そのメールのやり取りの中で、CCに平岩徹也氏(現、東京大学助教)が入っていて、調べると、どうやらポスドクとしてAG Netzで研究をしているようだった。平岩さんとは私が学部4回の後期から小貫研に卒研生として所属していたときに隣の研究室のD3で、よく食事とか質問をさせていただいていた方だったので、驚いたとのと同時に、知っている日本人研究者がいるということで、随分、安心した。それで、私の初めてのベルリン滞在が始まり、セミナーで話す機会をもらい、それ以外に個別に、次の自分の研究計画に関して議論をさせてもらった。それはUematsu2015の内容の原型である。
はじめての研究滞在の印象としては、非常に日本の大学に近い感覚を受けた。ベルリンの街並みは、多くは戦後に作られ、ヨーロッパ的な古いマンションは少なく、東京に似た風景というのが、なんとなく落ち着き、大学も戦後に作られた大学で、非常に現代的だった。Netz教授は非常に忙しく、15人程度の学生とポスドクを束ね、1時間くらいのディスカッションを通して、メンバーたちに自分の問題意識や、研究のデザインを伝え、綿密なチームワークでやっているという印象で、私の所属していた研究室の基本的に放任主義的な雰囲気的とは大きく違っていた。グループメンバーはポーランドやスロベニア、韓国などからの人もいて、国際的で英語を使って研究する環境であった。なかでも、ドイツ人のRobertは日本語を話すことができ、皆、私の拙い英語でも話を聞いてくれ、ベルリン市内での小さな駅伝大会に誘ってくれたりと、とにかく、日本の陰気になりがちな閉鎖的な研究室の雰囲気とはまるで違っていた。また平岩さんが全員と研究紹介し合うディスカッションの機会をアレンジしてくれて、メンバー全員がどんなことをやっているかを把握でき、随分と自分の興味と親和性のいい研究室だなと心の底から感じた。そんなようなこともあって海外学振で来れたらいいなとは思い始めていた。
2回目の短期滞在まで(2014年6月-2015年2月)
帰国してからは、Netz教授と連絡を取ることはすっかりなくなったが、海外学振に申し込むなら、年明けに、もう一度行って、どういうことをするか、また話に行くことしようということになり、メールで海外学振の受入が良いかどうかと、2015年2月にもう一度行きたいと連絡し、すぐに返事が来た。このときにはグループの冬の学校がポーランドであるから、それに一緒に来ないかと言われ、着いて行くことになった。そのときにどんな研究計画にするかは、今の高分子系の研究にちょっと毛が生えた程度のアイデアしかなかったのだが、Netz教授との議論では、お金を取ってくるなら、新しいことで、なおかつお互いの技能を生かせることをしないといけない。君は連続体理論に習熟しているが、我々は分子動力学が得意だ。だから、ここで、新しく分子動力学を学んで、界面動電現象をやったらいいじゃないか。今興味を持っていることにナノチューブに塩濃度勾配を掛けて、電気を取り出すっていう実験がある。これを解析したら面白いんじゃないのか?みたいな提案をしてもらい、関連する論文を4本くらい、くれて、滞在中にプロポーザルを作ることになった。私は、そこらへんの研究を詳しくフォローしていたわけではなかったので、また、研究計画をその分野のプロに見せて、果たして面白いものができるかと不安に思って、あんまり、うまくはできなかったのだが、確かに論文は面白いし、とりあえず、いろいろ物質を変えて、測定可能量を分子動力学で調べるといった研究計画を話した。冬の学校では、自分の研究を話す時間があっただけでなく、夜にレストランや酒場に出かけて行って、皆でお酒を飲んだりして、外国人とプライベートな時間を過ごす貴重な経験になった。なにより、2回目の訪問ということもあり、メンバーも私のことを覚えていてくれているので、なんとなく気が楽であった。
フェローシップを取るまで(2015年2月-2015年10月)
2回目の訪問から帰国して、すぐに海外学振の申請書に取り掛かった。フンボルトフェローの申請は学位取得後のほうがすんなり行くようであったので、とりあえず、海外学振の結果を待ってからと思い、また、当時は海外学振よりも国内学振のほうが難しいだろうと考えて、国内学振に通っても渡独しようと思っていたが、そのことはNetz教授には黙っておいた。国内学振の受入先は九州大学の秋山准教授にしようと考え、受入と了承と渡独のことなどを説明し、すんなりOKを貰え、あとは結果を待つだけの状態になった。
この間に海外学振の事務的な申請でNetz教授とやり取りをして、2月に計算していたノートを発展させて、この計算を1ヶ月くらいで纏めてくれたら、論文にしようと思っているが、やってくれないかという提案を受け、いろいろ忙しかったが、初めての共著論文になるし、面白いので引き受けることにした。それが[5]である。やはり、共同研究するとなると、チームとしての目標ができるので、なんとなく一体感というか、繋がりが深まったと感じた。
その後、8月になって海外学振の結果が通知され、不採用。これは学位取った後にフンボルトで行くようにしなくちゃと、考え、とりあえず学位論文に専念することに。その間もNetz教授との共同研究は進んでいて、日本にいながらにしても、こうやって一緒に研究できて学ぶことはできるのでいいかとも思ったりした。そして10月の国内学振の結果が通知されたのであったが、ここは予想に反して採用であった。つくづく運が良かったと思いながら、Netz教授に事情を説明して1年くらいは行ける見込みになったと伝える。他大学の助教公募などに応募していたので、どういう身の振り方をするかは決定していなかったが、8割くらいは行くのだろうなという心積もりで、いよいよ具体的な準備に取り掛かる。
渡航するまで(2015年10月-2016年4月)
学振PDで海外に長期滞在する場合に抑えておきたいのは、あくまで所属は国内の大学であり、さらに海外滞在は1年6ヶ月までと決まっていることである。
日本学術振興会関係:
海外渡航届は採用前から提出できる。採用証明書はビザ申請で必要になるが、これは4月下旬にならないと発行してもらえない。科研費交付内定も4月下旬。科研費はその年度のほとんどを海外にいる場合は消耗品や備品に使うのが難しいので、旅費のみで9割を超えることになる。応募時に説明が必要。通算海外渡航期間については3年の1/2である547.5日を切り上げて548日まで滞在できる。ギリギリまで長期滞在後に国際会議参加などの27日以内の海外出張は行くことが可能(学振に問い合わせた)。3月-4月の間に採用手続き、科研費の応募と交付、採用決定といろいろある。私の場合、採用証明書がビザ申請に必要なため、出発直前の平日である4月28日に貰えるように、直接、麹町まで出向いた。
所属大学関係:
科研費の使い方などは学振ではなく所属大学のルールに従う。科研費は交付内定以降に使えるので、渡航費を支出しようと思うなら、これ以降になる。私の場合は一時帰国の自由度を高くするためにも自費で航空券を購入することにした。旅費は1年以上の長期滞在にも科研費から支出することができ、その金額が短期滞在とどう違うかについても旅費規定に記載があった。その他、学振から届く税関係の書類などについて事務室にサポートを頼んでおいた(実際、どの程度、海外で対応できるのかは現時点では不明)。結局、九州大学についてから、幾つかの齟齬が見つかり、滞在費と日当は往復の旅費の支出がないといけないらしく、9月に一時帰国するときまでの、長期出張という形で、研究費を使うことになった。
渡航:
航空券はANAのFLEXというものが良い。1年有効で往復の日程を手数料なしでオンラインで自由に変更できる。
ビザ発行:
妻を連れて行くために戸籍謄本が必要。ドイツ国内の役所で使うために、外務省でのアポスティーユ、ドイツ語訳のドイツ大使館・総領事館での認証が必要になる。健康保険は日本にいるうちから契約した。
引っ越し:
京都の家にあった家具は、友人にあげる・粗大ごみ・妻の実家に送るに分け、3月上旬から片付け始める。福岡滞在は、掲示板で見つけたアパートに1週間と民宿に1週間、Airbnbで見つけた家に2週間いた。
渡航後のいろいろ(2016年5月- 6月)
通信環境:
T-mobileのプリペイドSIMカード。Magenta Mobile Start 9.95 EUR。パスポートと住所を聞かれた。仮住居はWifiがあったものの、ファイル転送などをするには向かない速度だった。
仮住居:
Airbnbで契約。4月に入ってから契約した。住民登録の賃貸証明書を書いて貰う。郵便受が使えないという点以外は非常に良かった。郵便受けが使えないため、銀行口座の開設などで多少のトラブル。結局、何事もなく一ヶ月でホストに返す。
お金:
学振から給料は日本の銀行口座(ジャパンネット銀行)に振り込んでもらい、国際キャッシュカードで引き出す生活。5月20日(金)にPostBankの口座開設をしに行く。パスポート、学振の採用証明、住民票が必要だった。最終的に、家にバンクカードは家に送りますのところで、郵便受け取りができないことを説明、それでも説得できずに、一度、Airbnbのホストに電話し、Airbnbのホストの会社の住所で受け取ることに頼む。後日、あれはどうなったと聞くと、一応審査は通ったので、もう少し待ちなさいと言われる。6月3日(金)にAirbnbのホストから封筒を3つ貰う。キャッシュカードとPINとそれから、振込票などと使い方の冊子。オンラインバンキングは即座にログインできる。翌日にATMで預金できるかを確認。6月6日(月)に出金もできた。オンラインの振込はSMS認証を申し込む。もう一つ、TAN Chip 認証というのがあるが、これは日本と同じようなナンバーキー発行装置を20EUR程度で買う必要があるらしい。もう一つ認証方法があったが、ハードル高そう。口座維持手数料は入金が1000 EUR以下だと5.90/月かかるが、果たして、現金による振込は考慮されるのだろうか?
住民登録:
5月6日(金)の朝に030 115に電話して、一ヶ月後の予約しかできないと言われ、Bürgeramt Hohenzollerndammに直接行くと開庁30分前に人が10人ほど並んでいる。開庁後、自分の番になって、住民登録したい言うも、ドイツ語で予約してくれと言われ、さらに要求すると、同じく一ヶ月後の予約の紙を渡される。その後、家に帰って調べると、英語の情報なら、体験者の記録がたくさん見つかる。カレンダーの予約が一杯なのは、午前中は更新ボタンを押していれば、開くことが多いとのこと。すると、次の月曜日に予約が取れる。ベルリンの東の果てへ。5月9日(月)Marzehn Promnadeというところまで1時間かけていく。予約の時間の10分後くらいに呼ばれ、住民登録証を手に入れられた。結婚証明は必要なかった。英語も喋ってくれた。
1ヶ月後の6月6日(月)に、新居の住民登録をしに、昔の予約を使ってBürgeramt Hohenzollerndammへ。予約の15分前に行き、予約時間の5分後に呼ばれ、なんの問題もなく終了。慣れるってこういうものなのかと実感。
滞在許可申請:
5月12日(木)の開庁時間10時の1時間半前に外国人局に到着。ガードマンに外のロッジにまず行くように案内され、そこで japanisch Wissenshaftler であることを告げると、172の番号を渡され、Haus B の列に並ぶ。開庁後、列に付いていくが、172の部屋の前に並んだ人は、172の部屋に一人ずつ、入っていき、みんな Nein と厳しい顔。どうやら、周りは学生の人が多く、みんな172の番号の紙を持っていた。その後、自分も部屋に入ると、結局、予約番号が必要とのこと。諦めて帰る。その後、オンラインで6月15日(水)の予約が運よく取れた。それでも、早く欲しいので、5月17日(火)の早朝に挑戦することに。インドからの留学生から情報を聞くと、テントで予約番号を発行してもらえるらしく、1月に行ったときには5時到着で行ったとのこと。
5月17日(火)の2時30分に起床し、S-Bahnの駅へ。着くと始発は4時過ぎから。Google Mapは夜も有ると教えてくれたのに。気を取り直して、バスで外国人局に向かう。30分のロスをしながらも、4時30分に外国人局に着く。まずはテントへ。学生かと聞かれ、Wissenshaftlerと言うと、目の前に番号カードがあるのに、Haus B に行けとの指示。ドイツ語なので聞き取れたわけではない。それで、6時の開門まで門で待ち、開門と同時にHaus B へ。後ろに並んでた人も走ったりして、小競り合いが起きる。なんとか10番目位をキープ。ただ、このあとどこに行けばいいのか分からず、みんなの動くままに行こうと、それで扉が開くと、みんな走るので、流れに乗って2階の列へ。いよいよ番号がもらえるのかと思いきや、研究者はここではなく、一階ですと言われる。急いで一階へ行くと、172の部屋の前に少し列が。聞くと、番号がなくて、ここに来いと言われてと。これは木曜日と同じではないかという暗雲が垂れ込める。しばらくすると、妻が木曜日のガードマンにあったらしく、状況を話すと、今度は我々のところに来て、何とかしたあげるから待ってなさいと、そして、テントで配っていた券を廊下でこっそりくれた。なんて優しい人なんだ。ということで、呼ばれたのは10時半過ぎで、ドイツ系の綺麗なおねいさんが、「学生じゃないの?」みたいな反応はあったが、招待状、学振の採用証明、日本の銀行の残高証明、健康保険、結婚証明の順に書類を求められ、最後に廊下の写真機で背景白の写真を撮ってきなさいと言われ、撮ってきて終わりだった。夫婦で120 EUR。11時半には無事にビザを取得できた。さきにドイツの銀行の残高証明も聞かれたが、ちゃんと日本の銀行の残高証明で代用できた。住民登録証は提出を求められず、ビザの期限も私のパスポート期限よりも後まで発行してくれた。それにしても、あのガードマンがいなかったら、また平日に2時半起きで外国人局に行かなければならなかったと思うと、本当に良かった。その後、妻の滞在許可証を見ると、労働許可と書いてあった。これは幸運だった。
住居探し:
5月11日(水)に仮住居を本住居にできないか家主に聞くと、次のゲストがいるので無理と言われ、本格的に始める。ビザ申請で敗退した12日(木)の午後に妻が immobilienscout24.de で5月30日(月)の下見のアポが取れる。他にも5件くらい連絡したが、返事なし。その後、5月18日(水)に始めての下見。家具や電気、キッチンまでもない家でちょっと無理だなとなり、翌日の下見は、行ってみたものの誰も現れずに開催されず。その日に、急に私の携帯電話に、6月1日から空くのだが、まだ探しているかという電話があり、その下見に5月20日(金)に行くことに。待ち合わせの時間に行くと、電話をくれた人の妹さんとお母様が、息子は仕事で、私たちはインドから旅行できているとのこと。部屋を案内してもらうとちょうどいいサイズで、家具付き。ほとんど文句なしで、なによりも電話をくれた人インド人はとてもいい人だった。それで、もし気に入ったのなら、大家さんに紹介すると言われ、家に帰って、書類を送る。(送った書類は夫婦の旅券と滞在許可証、学振の契約書とFUの招待状、日本の銀行残高と、結婚証明、住民登録証、それ京都の下宿の家賃不滞納証明書)、それで、かなり自分らのことを推薦してくれたらしく、その日のうちに翌日、大家さんと会うことに決まった。21日(土)にカフェで待ち合わせ、大家さんの奥様とそのお母様に会う。肝心の期間については正直に1年半と答え、いろいろと質問され、最終的に君達が住んでくれるのなら、とても嬉しいと言われ、終了。ちょっと家賃が高いが、他は言うことなしの物件に決まりそうになる。
23日(月)に契約書を受け取り、研究室の同僚の助けを得ながら、26日(木)に郵送し、31日(火)の夜に入居。その日にUsed Bedをcraigslistで見つけた人に運んでもらう。そして、翌日にマットレスを同じくcraigslistで見つけた人に運んでもらう。インターネット、ガス、電気は前の入居者から直接引き継いで貰った。電子レンジは新品を買い、自転車をEbayで手に入れる。
研究室:
5月9日に鍵を手にいれる。5月11日にZEDATのアカウント。5月13日(金)に計算機サーバーのアカウントを貰う。Mensa カードをゲストからスタッフに切り替えて貰う。
医療:
5月23日に渡独後初めて、38.5度の発熱をする。このときはハーブティーで直す。
生活編(2016年7月- )
テロ事件発生:
2016年12月にベルリンのカイザーヴィルヘルム教会の広場で、クリスマスマーケットに大型トラックが突入するというテロ事件が発生した。日本の人からの連絡で第一報を知ったが、事件より一週間前にその広場のクリスマスマーケットにグループメンバーと出かけていたのであった。ちょっとでも日にちがズレていたらと思うの恐怖を感じた。 事件の翌日はパリへ旅行する日であった。犯人逃走中ということもあり、テーゲル空港は物々しい雰囲気で、周りの人も、家族と連絡を取り合ったりしている人が多かった。翌日にパリからベルリンに戻ると、あちこちに指名手配のポスターが。数日後、犯人はイタリアで見つかり、事件は終わった。
パスポート更新:
パスポートの期限が迫っていたので、ベルリンにある日本大使館でパスポートの更新、その後、ベルリン市の区役所でビザの書き換えをしてもらう。海外でパスポートを更新すると、発行期間が外務省ではなく、在ドイツ日本大使館となる。あとは、何も変わらず。
帰国編(2017年5月- )
物を売る:
ベッドはeBayとCraigslistに出品。はじめはマットレス付きで150EURで売り出すが、なかなか売れず、最終的に50EURにしたところ、たくさんの電話が来た。結局、業者のような人が持って行ってくれた。 ほかは、自転車、電子レンジ、電気ポットなど。帰国ギリギリまで使うものは、引き取り手を先に見つけて、引き取り日を後にしてもらった。MixBは日本人しか来ないので、細かいことを調整しやすい。ドライアーが売れ残ったが、FacebookのFree your stuff Berlinに投稿すると、10分で5人くらいから連絡が来る。とても便利。
インターネットの解約:
海外への引っ越しの場合は、契約期間の途中でも解約できる。新しい雇用先での証明を要求された。モデムとルーターは返さなくてもいいものと思っていたが、帰国後、返してくれのメールが届き、結局どうしようもないので、代わりに3万円くらい払う。たしかに当時のメールを読み返すと、「返却すれば、追加料金はかからない」とあった。。。
電気・ガス・公共放送:
電気・ガスはカスタマセンターに直接メール。最終日のメーターの写真を後日送った。公共放送はAbmeldenが必要で、Webから解除できる。
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住民登録解除:
出発の1週間前からできる。役所を予約して、フォームに書いて渡すだけ。何も難しくなかった。
家の引き渡し:
グループのFarewellを出発の前々日におこない、前日は掃除とゴミ捨て、荷造りに当てる。その前の週に大家さんがよく頼んでいる掃除サービスをしておいたので、そこまで汚くはなかった。出発日は朝一に大家さんに家に来てもらい、鍵を返して、敷金を全額返してもらい、終わり。