大学院時代の間に考えたこと (2 January, 2016 更新)


ここでは、大学院生になって、あらためて研究生活の中での社会との関わりや、人生の中での今の期間の位置づけについて考えたことをまとめておく。学部生の頃は研究者は束縛されない自由人という印象が強かったが、その世界に入ると、現実的な研究者の像が次第に自分の中に出来上がったので、主にそれについてである。
お金のこと
社会生活を営む以上、私たちはお金が無くては生活できないが、科学者や研究者と呼ばれる人々も基本的には社会の中の職業として存在するのであり、それが直接的に利益をもたらさないものであるので、何らかのパトロン(出資者)のもとに活動するということが必然となってくる。大学に所属して研究する場合はパトロンは国と学生となる。大学院の予算は、運営費交付金というと競争的研究資金に分けられ、最近は後者の比率が、どんどん大きくなり、その結果、パーマネントポストの減少と任期付き研究員の増大を招いていると言われている。このことは実際に私が検証したわけではないが、新聞その他の報道や、博士課程一年のときに、物理学第一分野運営委員会に参加して、実感するところである。
競争的研究資金の出資者には主に、文部科学省所管の日本学術振興会(JSPS)と科学技術振興機構(JST)がある。前者は、個人や少人数グループで応募することになっているものが多くボトムアップ型であるのに対し、後者はプロジェクト型で、予算規模も巨大である。このほかにも厚生労働省や経済産業省が公募している科学研究費、民間企業からの助成などもある。
成果とは
研究者の卵として活動し始めると、まず自分には業績が何もないことに気づく。業績がないと、研究費を獲得する以前に、経済的な自立を図ることもできない。だから学会発表をして、論文を書いて、学振特別研究員になりたいと思うわけである。これになれば、生活費と学費は、とりあえず自分で出すことができ、経済的には独立もできる。成果が沢山あれば、お金が貰えるという構図は、研究者である限り、基本的にはずっとついて回ることになる。それが生活費等の個人の出費に使えるか、研究費にしか使えないかは、出資者によって決まりが違う。論文の謝辞には、必ずグラントの名前や使ったスパコンの名前が書いてる。これが果たして、出資者の望むところなのかどうかは些か不明だが、そうすれば研究資金の報告書や申請書に、成果として書くことができ、またお金が貰えるというような仕組みになっているようである。
研究社会全体がそういう動機で動き出してしまうと、論文も学会発表も、その中身よりも発表したという事実だけが重要というようになってしまいかねない。このような悲観的な見方を研究者社会にすることもできるが、科研費の審査などは研究者コミュニティが責任を負っており、研究者個々人がフェアに審査することで、ある程度の公平性を保っているのではないだろうか。一方で、分野独特の風習もあるようであり、研究費の額も大きい医学・生命科学分野や、あまりお金のかからない数学系や人文科学など、そういった市場規模と権威主義の程度は何か関係があるかもしれない。
大学院生の経済的自立
大学院生になると、まわりは就職する人が増えるので、経済的に援助を受けられなくなったり、あるいは経済的に独立しようと思う人がいると思う。大学院生の身分を生かしたアルバイトや奨学金、フェローシップなどが沢山あるので紹介したい
授業料免除:国公立の大学であればどこでも制度があると思われる。申請の際にいろいろ書類が必要ではある。たとえば親の扶養から外れていることの証明、源泉徴収票など。これのおかげで、税制や社会保障制度に一通り学べた。京都大学の場合、半額免除は申請すれば通ることが多いが、全額免除は難しい。半額と全額のボーダーは毎年、動いているようでもある。
日本学術振興会特別研究員:博士課程学生から申請できる。難関だが、これがあると生活に余裕も出るし、科研費をもらえるので、自分の研究の自由度が増える。ただし、雇用関係ではないので社会保障や福利厚生はなく、それで専念義務があるので、謝金・アルバイト代は貰えない。
学振研究員並みの制度:学振研究員に準じるような研究員は少なからずある。リーディング大学院や理研リサーチアソシエイト、海外の博士課程留学プログラム、民間の給付型奨学金(吉田育英会、他)などなど。これらの情報はアンテナを張っておかないと得るのは難しいかもしれない。
いろいろなアルバイト:指導教官の授業のTAや大学教務の事務仕事、あるいは近隣の高校でのアルバイトなど、情報が限られた範囲にしか伝わってないようなものは時給がいいことが多い。仕事内容がどれだけ自分の経験になるかはそれぞれだが、研究に支障がない範囲でやってみてもいいと思う。
寮住まい:京都大学には学生寮があって、ここに住むと家賃の負担が1/10くらいになると思う。もちろん、いろいろと妥協は必要。大学によっては京大のような学生寮はないかもしれない。
日本学生支援機構の奨学金:奨学金といいながら返済義務があり、利子ありの種類もある。大学院5年間を88,000/月でもらうと、500万円強になる。これは卒業後、重くのしかかるわけで、この奨学金に頼るのは最後の手段にした方が良いと思う。
国際的になること
日本というところはヨーロッパとアメリカの両方から地理的に離れていて、日本にいながら国際的になるのは随分と難しい国であると思う。私も修士2年の時にパリに滞在の機会を得るまでに海外に行ったことすらなかった。そのような学生は少なくはないと思う。 そういう学生にとって、最初の一歩は結構なハードルなわけだが、もし機会があるなら、学会参加でも滞在でも、あるいは旅行でもいいので海外に行くことをお勧めする。
私のパリ訪問は、いろいろ臆病になってしまったこともあって、自分の研究の直接的な転機にはならなかったが、その後のベルリン訪問では、ホストの教授との親和性もあってか、非常にいい刺激となっている。また、異文化と関わりを持つことは、人格形成の上でも重要な要素であるので、気になるところには、複数回、訪問して、個人的な関係性を構築していくことが大事だろう。
ポスドクを含むアカデミックポジションへの進路相談
任期があるのか、ないのか。都市か地方か。国公立か私立か。大学か高専か。研究機関か教育機関か。学生の進学状況や学力。教員一人当たりの学生数。給料や福利厚生。大学運営の方式。研究室の主催者かどうか。恒常的な研究費があるか。授業の数。
大学院を選択するとき以上に、博士取得後の進路を決めるのは難しいだろう。基本的に出資者に選ばれない限り、給与は貰えない。さらに公募のタイミングは不定期であるし、自分のキャリア形成と、教育サービスの提供や研究グループへの貢献の両方を並行して考えなければならない。
面白さ、難しさ、新しさ、社会的・学問的価値
いい研究とは何かという話である。もちろん、多くの研究者から引用されれば、いい研究なのではあるが、引用数だけでは、その分野の研究者数や論文の出版数に強く依存するし、なにしろ、5年くらい経ってから引用される研究も沢山ある。むしろ、引用数という情報は、自分が研究の読み手となった時に、独自にその研究の面白さを味わって、判断する際の、先入観を与えてしまう可能性がある。 また、難しい解析計算や大規模な分子シミュレーションなどは、その研究技術自体が難しく、そのことが評価されがちである。しかしながら、大事なのは研究結果であり、研究結果を語るには基本的には研究自体の難しさは関係ないはずである。むしろ、簡単な手法で、面白い結果を出したほうが、多くの人に共感してもらえるのではないだろうか。 また論文として出版するには、何かしらの新しさを含んでないといけない。しかし、新しさに程度のようなものはなく、研究の面白さとは直接は関係はないだろう。むしろ研究の面白さとは、産業・技術への応用、あるいは宇宙・生物・ヒトの存在哲学にインスピレーションを与えたり、具体性をあたえる力や、新しい学問領域を開く、既存の学問体系に変革・問題に解決をもたらすような力のことであろう。
若いがゆえの葛藤
大学院の時期というのは発達心理学的にみれば、自我を確立する青年期の後半であり、いわゆる就職、結婚という人生の転機を迎える時期である。一方で大学院に進学すると経済的自立が困難になり、他者と比較して劣等感に襲われたりし、社会的、精神的孤立を招きやすい。その結果、心身の健康を崩したりする人が少なくない。
研究者を目指す学生にとって、研究内容に独自性を発揮して、それを自我の確立の手段としようとすることは、よくあることだし、私も修士の頃には、少なからず、そういった思いがあった。そういった学生は研究倫理との親和性も良いためか指導教員のテーマ設定に安易に従うことに違和感を覚えたり、本人の寄与の少ない成果を論文として量産したりする者を蔑んだりしがちである。
一方で、研究内容に独自性を発揮して業績を残し、人々に評価されるというのは、一流の研究者でも難しいことであり、個人の能力が高いからといって達成できるようなことでもなく、運の要素もある。危険なのは、研究者を目指す学生が、独自性を発揮することができずにいることを、すなわち、研究者に向いていないと理解してしまうことである。こうなると、自我の崩壊を招き、社会的・精神的孤立に繋がる。
このような心理構造は年を経れば、大きく変わり、結婚、就職、その他の社会的活動を経て、自我の確立が中心的課題でなくなることも多い。したがって、研究における独自性の発揮というのは、青年期特有の自我の問題と切り離して、取り組む課題であるということを伝えたい。